迷走するマルセイユ、16年前の悪夢再び

シーズン終了を待たずに行われた4月29日のエリック・ゲレツ監督の退団発表は、マルセイユ迷走の予告だったのかもしれない。

今季、8年目にしてやっとリヨンがチャンピオンの座から脱落したフランスリーグ・1で、最終節まで首位争いの一角を担っていたマルセイユ(以下OM)。結局3位に甘んじたものの、欧州レベルの好成績(UEFA杯ベストエイト)に加え、ゲレツ後任のデシャン新監督就任が早々に決定するなど、来季の巻き返しに向けて幸先の良いシーズン終了となった。

・・・と、誰もがそう思っていた。

しかし、来シーズンに向けた移籍市場の最重要時期に、マルセイユ人事に一触即発の大事態が発生した。

ゲレツ監督退団のニュースが囁かれ始めた今年3月頃、OMの舞台裏では、ひとつのバトルが繰り広げられていた。ゲレツ監督の契約の見直しを声高に主張していたOMディウフ会長に対し、クラブ主要株主ルイ=ドレフュスが首を振らなかった、というのが当初の認識だった。そうこうしているうちに、ゲレツ監督はサウジアラビアのクラブ、アル・ヒラルより高額オファーを受けた。OMがゲレツ監督にやっとオファーを出した3月中旬の時点で、アル・ヒラルとの交渉はもう後に引けないところまで進展してしまっていたらしい。好成績を以ってアピールし続けてきたゲレツ監督にしてみれば「なんで今更?」といったところだろう。マルセイユを去る前に「ここに残りたかった」と悔しさを激白したゲレツ監督に同情したファンや同僚からは、OM経営陣の対応の鈍さへの批判が相次いだ。

ところが、ゲレツ監督退団から2ヵ月後の6月17日、今度はディウフ会長が突然の退団の憂き目に遭うことで、マルセイユに激震が走る。主要株主ルイ=ドレフュスの“独裁政治”とも言うべきこの決定に、マルセイユ市長までもが「私に何の連絡もなしにこんな決定をするなど、言語道断」との公式コメントを発表、地元の政治を巻き込んだ一大事に発展したのだ。早々に来シーズンの青写真を決めたいデシャン監督も遺憾の意を表した。

そして、ディウフ会長が『ジューヌ・アフリック』紙のインタビューの中でクラブ内情を赤裸々に語ったことで、先のゲレツ監督退団に伴う会長と主要株主の(表向きの)対立構図の影には、実は主要株主ルイ=ドレフュスの側近(ルイ=ドレフュスグループのゼネラルディレクター、ジャック・ヴェイラ)の思惑が働いていたことが判明。「ルイ=ドレフュスは、周囲に踊らされている単なる“操り人形”でしかない、可哀想な人間なんだ」というのがディウフ会長の概ねの主張だった。事実6月17日、ふたりの離別の舞台となったチューリッヒでの会見後、ルイ=ドレフュスは号泣したという。

こうして低迷していたクラブ改革を成功させたゲレツ監督だけでなく、人間性とマルセイユ愛あふれるクラブを目指したディウフ会長を失ったことで、ファンの怒りは頂点に達した。しかし、その翌日18日に、民法TF1局の報道部長ジャン=クロード・ダシエ氏の就任がほぼ決まったこと(6月23日正式就任)で、その手腕への評価は賛否両論であるものの、事態はとりあえず収拾に向かうかと思われた。

しかし、“OMお家騒動”はここでは終わらなかった。

指名を受けたものの、あまり気乗りのしないダシエ氏の気ままな思いつきなのかどうなのか、新会長候補は、契約書に署名をする直前に、ひとつの“絶対条件”を提示した。

その条件とは、ジダンの代理人ミグリアッチョの片腕で、フランク・リベリー、サミール・ナスリなどの大物選手の代理人でもあるジャン=ピエール・ベルネを自分の右腕としてOMに入閣させるというものだった。

しかしこの人物は相当の曲者で、マルセイユの、いや、フランスサッカー界の“汚点”としてOMクラブ史に不名誉な名を轟かせているのをご存知だろうか。というのも、16年前の1993年、当時のベルナール・タピOM元会長が有罪判決を受けた“OM八百長事件”で、同様に有罪となったOM元ゼネラルディレクターなのだ!この事件が原因でうつ病にかかり、家庭は破綻。94年にFIFAよりサッカー関連職務からの永久追放処分を受け、人生のどん底を経験したベルネだが、わずか2年後の96年、FIFAは、具体的な裏づけをすることなく処分を撤回。それから更に3年後の99年、フランスサッカー協会は、犯罪歴のある人物にライセンスを与えないという内部規定を何故か無視して、ベルネに代理人ライセンスを付与する。

サッカー界の上層部における、ベルネ復帰に向けた一連の内部操作が相次いだこと自体、全く不可解としか言いようがないが、ベルネが実はデシャン監督の代理人で、OM監督就任の裏で奔走した人物であることも露見し、メディアの“ベルネ叩き”が始まった。

激しい批判の中、週末にも決まるだろうと思われていたダシエ氏の会長就任は持ち越しに。全ての移籍交渉が宙ぶらりんとなり、業を煮やしたデシャン監督が暗に退任の可能性を示唆することで圧力をかけただけでなく、ディウフ元会長の片腕だったスポーツディレクター、ジョゼ・アニゴも退任を示唆するなど、マルセイユは混沌に陥ったのだった。 結局、ベルネ氏がダシエ氏のオファーを丁重に断り、ダシエが“絶対条件”を撤回して新会長に就任したことで、デシャンもアニゴもクラブに残留し、何とか全ては元のさやに納まった。しかし16年前の“悪魔”の目を覚ましてしまったマルセイユの来シーズンが、暗雲のスタートにならないことを祈りたい。